大漁の釣果写真からの炎上騒ぎにみる己の正義。人の振り見て我が振り直せ。 | ツリタノ!

大漁の釣果写真からの炎上騒ぎにみる己の正義。人の振り見て我が振り直せ。

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僕は何を思えばいいんだろう。

なんとも言えない気持ちになることは日々の生活を過ごす上でたくさんあります。

記憶の古い所で言えば「清純派セクシー女優デビュー!!」、清純とはなんなのか?と若かりし頃の私は葛藤したものです。

SNSなんか見てて、「好きなタイプは嘘をつかない人!」と好みのタイプを述べる方に限って写真加工アプリでゴリゴリに偽装した顔面を披露していたり

既製品にプリント屋でプリントしただけのTシャツをオリジナル!コラボ!と称して売ってるメーカーを見かけたり

アイデアパクられたらソッコー訴えるクセに自分とこは後出しアイテムを堂々と発売しちゃう大手メーカーがあったり

「熱中症厳重注意!」ってテロップ出しながら灼熱の高校野球を放送する公共放送があったり

釣りするために何時間も開門待ちはするのにタピオカ飲むのに1時間並ぶ女子を小馬鹿にする人がいたり

SNSと動画では全然顔が違う釣りガールに魚より男のほうが釣られていたり

挙げればキリがなく、枚挙にいとまがないとはこのことでしょうか。

それぞれの立場や視点から見れば正当化されるものであっても、また一方から見れば非難の対象となり得ます。

今回はそんな話。

この手の出口のない議論は基本的に口を出さずに「大変だなぁ」と対岸の火事ぐらいに思っておくのが定石ですが、いつ自分にも同じことが問われるかわからないので「自分なりに考えを整理しておこう」がメイン

どちらかを否定しよう肯定しようという意図はありません。

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発端は、超抜釣果から生まれた

ここ数日、私のホームエリアの一つとする武庫川一文字界隈で小さな炎上騒ぎがおきているようです。

とある凄腕チヌ釣り師が仲間達と大量の釣果をSNSにUPしたところ

「かわいそう」「無意味にキープすんな」「うらやましくない」「人として」といった批判的な意見が多数寄せられたということです。

ちなみに私はその画像は炎上する前にTLに流れて来ていたので拝見していて、「おっ、すげーなムコイチのチヌ好調やなぁ~」としか思いませんでした。

↑です。こういう感じ方の違いが今回の炎上騒ぎの根幹的な部分と言えます。

釣り人かそうでないか、釣りを競技として見ているかレジャーとしてみているか、リリースするのかキープするのか、タイミング、温度差などなど、

単純なようで複雑な、小さいようで大きな話。

何を怒っているのか

こんなマイナー釣りブログを見ているような情報感度の高い皆さんは大量の釣果写真だけならいくらでも今まで見てきていると思います。

チヌあたりの大阪湾のメジャー魚種だったら「漁か!」って突っ込み入れたくなるぐらいの釣果写真はもう驚かないでしょう。

今回の釣果写真に対して怒っている方々は何に怒っているのか?を見た所

  • 食べもしないのに大量に釣って魚をいじめている
  • 真夏のコンクリートに直置きして魚にダメージを負わせている
  • 無意味にキープして大漁を自慢したいだけなんでしょ

という意見が多いように見受けられました。

騒ぎが大きくなったタイミングとしては、当該の釣り人が第三者からの「こんなに釣ってどうするんですか?」という問いかけに対して「リリースします」と答えたことから燃え上がり始めたように見えます。

「リリースするのにそんな大量にキープしてさらに真夏のコンクリートの上で直置きする必要ある!?」ってことでしょう。

それに対し、当該の釣り人側から煽るような言動が見られたことから燃料が追加され現在も延焼中といった感じのようです。

ちなみに、この武庫川一文字チヌ大漁釣果炎上問題のことをピンポイントに話すのではなく、全体的な、構造的な話をします。

この問題っつか、話ね、一生終わんない気がするんだ

この手の話はずっと昔からあったものの、よりゲーム性の高い釣りが普及してきた昨今、キャッチアンドリリースな釣りが流行りを見せるようになってから議論は活発化しているように見受けられます。

魚に対して「遊んでくれてアリガトウね!」みたいな釣りが増えたあたりで激増した感じでしょうか。いえ否定はしませんよ。それをカッコイイと捉える風潮が増えたからそうなっているわけなので。

まぁ私は「美味そうやなお前!」のほうが強いタイプですけども。

直接この問題だけでなく、釣った魚の扱いについてタチの悪い所は皆それぞれ立場や価値観が違うのに各々の主観、主張を押し付け合う所にある。

現状では当該の釣り人はただただ袋叩きにあっているだけの状況ですが、釣りを、競技として楽しむ人、レジャーとして楽しむ人、食料確保として楽しむ人や、釣りはしないけど生き物の命を第一に考える人、海全般を大事に考えている人、そもそも釣り人が嫌いな人などなど。そしてそれぞれの考え方にも温度があり、許容されるボーダーラインが違う。

一匹でも許さない人もいれば、食べる分だけならOK、リリースするならいくらでもOK、ご近所さんに配る分までOK、釣れるんだから釣れるだけ釣ればいいんじゃないって人まで様々でしょう。

それを同一線上で議論するから答えが出ないし互いの正義を押し付け合う結果となっていまう。

これは宗教戦争なんかと構造が同じようなもので、己が信じる正義が違うのだから、もはや一生わかりあうことは出来ないのは多くの人にも明白でしょうか。

さらにタチが悪いのはこの話に限って言えば大体どの話もすり替えや詭弁で対応出来てしまう。

「魚をいじめてる?お前だって釣りしてるやろ?」「君は食べ物を捨てたことがないのか?」「切り身の魚は食うくせに釣った魚はかわいそうなの?」「むやみな殺生って言うけど世界中でどれだけ云々」「釣った魚を即リリースしたら魚の口にでけー針引っ掛けても良いのか?」ああもういくらでも出てきます。

これは全て先程述べたようにそれぞれの立場考え方が違うので正義を押し付け合うだけのヤツです。一生わかりあえません。

さらにさらに、議論を収拾させる王道としては問題を切り分けて、ソレはソレ、コレはコレと一つずつ潰していくのが有効でありますが、この件に限って言えば「魚たくさん釣りたい!」「自慢したい!」「魚かわいそう!」「食べる分だけ釣って!」などなど釣りに対する前提条件が違うので歩み寄ることすら難しい条件となっています。

さらにおかしな話で、今回の釣果がたったの一匹だったとしてそれを真夏のコンクリートの上に直置きして記念写真撮ったとしましょうよ。恐らくですけど、全く話題にもならんのですよ。

1匹だったら「ヘタクソ」「少ない」「微笑ましい」的な意見のほうが多数派でしょうけどもこれが数十匹になった途端「スゴイ」「かわいそう」「乱獲」となるわけです。

それぞれの視点が違う上に、それぞれの許容出来る線引きまでも違う。

議論収拾マニアにとってはたまらないレベルの複雑な話と言えるでしょう。

もっと言うと今回の大量のチヌだって元々は人為的に、人の手で大阪湾に毎年大量に放流されてるチヌが源泉になっているわけである意味チヌ釣り師が大量にチヌを釣る為の活動の成果とも言え、そのへんの事情もふまえるともはやよくわかりません。

また、その辺りというか界隈にも私情や細かいバックボーンがあったりしてそれも加味しだすとキリがないというかこのエントリーが2倍か3倍ぐらいの長さになってしまうので割愛。

だからって命を粗末にしていいのか?魚をイジメていいのか?

となってくると、話はまたループします。出口がありません。

もちろん命を粗末にして良いわけないですし、正当化出来ません。しかし人間って幾千、幾万の命の上に成り立ってるから云々・・・って話にまたなっちゃうわけですよ。

これはもう釣りというテーマではなく命の倫理観についての議論になります。

人の死生観や食料確保の観点や世界規模のテーマになります。

そんな哲学的なテーマ、それこそ答えが出ないでしょう。

一生わかりあえることのない泥沼議論ではないか

用法用量を守って、正しく

経緯や炎上騒ぎの構造を話すだけでこんなに長くなってしまった・・・・。

で、私の思ったこととしてはだ。

前置きがすごく長くなってしまったけども。笑

一人の釣り人としてね?

まぁ私はゴリゴリの競技的な思考派なんでね?当該の釣り人とたぶん同じようなモチベーションで釣りしてると思うんですけどね?

そんな一人の釣り人から思うことはね?

まず真っ先に問題らしきものがあるとするならば自分の釣果のインパクトに鈍感になっていることだろうか・・・。

あれは一般人には刺激が強い。凄腕は凄腕である自覚が必要である。

あれが数匹並んでるだけなら誰も気に留めない。ただ数が多かった。

ぶっちゃけ熱々コンクリートに直置き写真なんてチヌの波止釣りツイート探せば数千枚は見つかる。

わかるんだよ、自分の好きな釣法で、好きな魚がいくらでも釣れるそんな状況ならいくらでも釣りたいそしてキープして記念写真撮りたい。わかる。心の底からわかる。

ただ、まぁ、出る杭は打たれたというか、刺激的だったというか、そのあとの煽りも悪手だった。無言か即謝罪の二択が無難。

もし私が炎上しようものなら即撤回、即謝罪するね。笑

「そんな問題じゃねーよ魚がかわいそうだろ!」という声が飛んできそうなんですが、もうそこは散々前述の通りで、「程度の差こそあれ釣りってそういうもので・・・」「人が生きる上で多かれ少なかれ・・・」「いやだからって夏のコンクリートの上に魚を!!」という話にまたループします。

極論でいけば、イエス・キリストの「あなたたちの中で罪を犯したことのない者がまずこの女に石を投げなさい」となります。

気になるのはそっちよりもコッチ。

とは言えですね、普通の一般人なんてのは「炎上」なんてまずすることがないので恐らく当該の釣り人は(対外的にはどういう言動、振る舞いをするかわかりませんが)それなりに思う所があったでしょう。今後は用法用量を守って同じような騒ぎにならないことを念頭に活動されるでしょう。

なのでその点に関しては怒っている側の望む方向に向かっていくものと思われます。

じゃあそれで一旦の、ある程度の、それなりの落とし所?解決か?っていうと・・・?ちょっと違うのかなと。

この件だけに限らず、今現在SNSの普及は極めて活発で、日本1億総SNS社会ぐらいの勢いです。

釣り場でも「え!?○○さんSNSやってんの!?」と驚くような人がSNSに手を出していたりします。

そういった背景もあり、安全地帯からほぼ匿名で自分とは違った意見の人間をいくらでも袋叩きに出来てしまうシステムが出来上がっていることは日常生活でもチラっと気になる所ですね。

そんなだから芸能人の謝罪会見なんかでも、もはや誰に謝っているのかわからない謝罪会見もたくさんありますもんね。

また、怖いなぁと常々思う所だと、声の大きい少数派の意見がさも多数派のように振る舞い、報じられ各所で歪なねじれが発生してることすらあるのは怖いなぁと。具体例を上げると丸焦げになりそうなんで控えますけども。

人の振り見て我が振り直せ

あと思うこととすれば、これはついつい釣り過ぎちゃう系の釣り人全般にいつ降り掛かってもおかしくない話です。まぁ私のことですね。

熱々コンクリート後にリリースはちょっと記憶にないんですが(暑い時に波止釣りしないので)乱獲と言われても差し支えない釣果を偶然出せてしまうことが年に何回かあります。

まぁ、私の場合は幸運にも釣った魚の行き先はほぼ確保できてるのでむやみな殺生とはなりにくいんですが、扱いに関してはお世辞にも丁寧とは言えませんむしろ雑いと言えます。

また魚の扱いだけでなく立ち振舞いや言動など不遜とも言えなくない場面も多々あり今回の件などを教訓に自分の襟も正していきたいなとは思わされました。

私の釣果やブログを見て、スマホやモニタの向こうにいる人が何を思うか、慮る、推し量る気持ちは頭のどこかに置いておきたい所です。

様々な方面に今後ほんと気をつけます!!!!今後です今後!

そんな難しい話じゃない。

まぁなんだ、そんな難しい話じゃねーんだよ。

釣りってのは多かれ少なかれ魚にダメージを与える。

ダメージを最小限にとどめたら許されるのか?っつったらそれは正当化出来ないし、だからと言って熱々のコンクリに直置きしてからリリースしていいのかっつったらそれも許されないだろう。

じゃあだからってそんな人を安全地帯から匿名で袋叩きにしていいのか、罵詈雑言を浴びせていいのか、正義の御旗を掲げて会ったこともない人に暴言を一方的に送りつけていいのか、それこそ人として?という話にもなりかねない。

炎上って、焼いてる側は説教か正義を教えてやってる感覚なんだと思うけど、安全地帯から多数派でイジメてんのと大差ないことも多々あるわけですよ。

批判の炎で対象者を焼き尽くすんじゃなくって、憎悪の塊ぶつけるんじゃなくって、どうすればよかったのか?前向きな話がメインであるような社会であってほしいなって、

そんな単純な話なんだよ。

だからって魚をいじめていいのか!?いや人ってのは多かれすくなかれ、釣りってのは多かれ少なかれ(略

おあとがよろしいようで

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